[2025.8.10] -[門真民報]
友清さんと歩んだピースフェスタ
子どもたちに核兵器のない世界を
第30回2025ピースフェスタ門真
第30回「2025ピースフェスタ門真」(主催「ピースフェスタ門真」実行委員会)が2日、南部市民センターで開催され、福田英彦、豊北ゆう子議員が参加しました。
はじめに関西合唱団の歌声、エイサーと「あたらしい憲法のはなし」の朗読、なみはや高校吹奏楽部・芦間高校軽音楽部の平和の願いをこめた演奏と歌で盛り上がりました。
「平和とは平和とは何か」問い続けること
「ピースフェスタ門真」の会長 北澤照久さんが、「友清克二さんと歩んだピースフェスタ門真30年」と題して話されました。
友清さんは、被爆者として人間として熱線・爆風を受け、焼け野原から水を求めさまよって無くなっていった多くの人たちの声なき声を、唯一の原子爆弾の被爆体験者として貢献したいと86歳まで語り部としてピースフェスタの実行委員会で活動されたと紹介。今は亡き友清さんに参加者全員で黙とうをささげました。
戦後80年、日本は1人も外国の人を戦争で殺してはいない、それは憲法9条が歯止めになっているから。「戦争のないアジア・地域」これがわたしたちがめざしている社会。核兵器禁止条約が国際連合で発行し、世界の約半数が批准していることを強調しました。
終わりに、「これまでたくさんの人々に支えられて、ピースフェスタは続けられてきた。友達と遊んだり、家族とご飯を食べたり、そんな当たり前のことが『平和』だということに気づいた。これからも平和な世界で暮らしていきたい。だからこそ、いまこの瞬間から始めなくては、「本当の平和とは何か」と、問い続けること、無関心な人々に、世界に、声をあげること。」と訴えました。
枚方市在住の原爆被害者の会」会長の森容香さんが、「原爆投下、姉に手を引かれて逃げた5歳の私」と題して講演しました。
森さんが5歳の時、広島の爆心地から1・8㎞県内の自宅で被爆し、戦地にいた父を除く母と自身を含むきょうだい5人が偶然斜めに落ちた屋根の隙間に吹き飛ばされた。母親に火の手が上がる前に先に避難するよう言われ姉と二人で近くの竹藪に逃げた。「皮膚を垂らし歩く人や川で水を飲もうとしたまま無くなっている人など生き地獄だった。
逃げ延びたものの被爆者であることで学校では心もとない言葉でいじめを受け、肩身の狭い貧しい生活が続いたこと。集団就職で大阪に来て60歳迄働き、退職後は本格的に語り部として活動。「戦争をして得るものは何もない。ただ人が死ぬだけ。対話が大切」と訴えている。命ある限り核兵器禁止条約の批准に向け署名運動を続けていくと力強く語りました。
国の保護基準引下げは違法と最高裁判決!市は被害の回復、独自の支援施策の実施を
市在住の原告と代理人、生活と健康を守る会が要請書
国が2013年から行った史上最大の生活保護基準引き下げの違法性を問う「いのちのとりで裁判」で、最高裁第三小法廷が違法性を明確に認める原告勝訴の判決を6月27日に言い渡したことから、門真市在住の原告と代理人(弁護士)、門真守口生活と健康を守る会は7月31日、宮本一孝市長に対し、被害の回復や国への要望、市独自の支援策の実施などを求める「要請書」を提出し、門真市福祉事務所長、保護課長、参事、課長補佐が応対、懇談には福田英彦議員が同席しました。
要請書は、国が保護基準引き下げ後10年以上が経過し、原告の2割を超える232名が亡くなり、大阪でも53名の原告のうち13名が亡くなっており、高齢者や障がい者、傷病者が多い生活保護利用者の早期解決の願いは切実で、3点について求めています。
訴訟代理人の弁護士からは、他の自治体で行われた実態調査について紹介があり、門真市でもぜひ取組んでほしいと要望しました。
門真市在住の生活保護利用者からは、日々の生活は苦しく、家族三人で出かけるときに費用が出せないと早期の解決を求めました。
生健会からは、大阪府交渉に向けたアンケートを取組んでいるが、エアコンをつけるために月前半は3回の食事が後半は2回にしている実態があると報告があり、夏季加算の要望を国に行うよう求めました。
懇談で担当者からは、現時点で国からの通知等はなく、市独自で対応できることは限られている。夏季加算の要望はしていないが、物価高騰対策として総合的に求めているなどと回答しました。
国通知待ちになることなく実施機関である門真市(福祉事務所)の対応が求められます。